2015年3月22日日曜日

日曜日の「抜き書きしないでルンルン♪」 奇跡的な出会い!



読んでいた『マネー&ラブ』から、名倉正さんという著者の『ワケありなボクらの未来が実は明るい本当の理由』という本に出合いました。
奇跡的な出会いと思っています!!
いま、名倉正さんの本をいろいろと読んでいるところです♪

● あなたが望むだけのお金を手に入れるために必要なのは、「豊かでポジティブな意識」の真髄とも言える、次の3つだけです。

1 自分が望むものの明確なビジョン
2 必ず手に入れるという信念
3 信念を実行に移すための、具体的なテクニック

(『マネー&ラブ』 ジェリー・ギリアスより)



2015年3月18日水曜日

今朝の枕頭読書 『バシャール スドウゲンキ』



● 対立という意味での「闘う」とは、自分は無力だという気持ちの結果として起きることです。

● 最大のパワーはもっとも軽いタッチによって起きるのです。

● 何かを無理やり起こさなければいけないとか、何かを力によって為さなければいけないと言っている人は、実は「自分にはパワーがないから力を出さなければいけない!」と言っているのです。

● そこには「力が不足している」という信念があります。

(『バシャール スドウゲンキ』 須藤元気 ダリル・アンカ 177~178ページより)

2015年3月17日火曜日

今夜の枕酒読書 『50代でしなければならない55のこと』



● 日常を、旅にする。

● 遠くに行くだけが旅ではないのです。
 日常の中での発見も旅です。

● 「○○といえば、私も○○したことがあります。意外に○○なんです」というフォーマットで話すというお題を出したのです。
このフォーマットに単語を当てはめればいいだけです。

● 論は語っても、「私も○○したことがあります」という自分の体験を語れないのです。
「意外に○○なんです」も語れません。
論を語る50代と、体験を語る50代は圧倒的に違います。

● 体験すると、意外なことはたくさんあります。

● 感じていないのです。
データを集めようとする人は、見つけられないのです。
感じている人は、「意外にこうなんだな」と感じることを見つけます。

● 自分の想像を膨らませながら、それとズレた意外性を面白がれることが大切です。

(『50代でしなければならない55のこと』 中谷彰宏 132~136ページより)

2015年3月10日火曜日

今夜の枕酒読書 『バシャールのワクワクの使い方・実践篇』より




● 魂に焼きついた努力と苦労の必要性

● あなた方を長年見てきて感じていることなのですが、
あなた方の文明というのは、単純さ、簡単さをいうものを信じるのにあえて大変な難しさを感じているということです。
そこが一番矛盾しているのです。

● もう何千年もの間、何か価値あるものは必ず努力しないと、また、苦労しないと得ることができないと信じているのです。
もうこれが魂にまでに焼きついていて、簡単なことなんだということを受け入れられなくなっているのです。

● 行動を起こさせるのは、勇気ではなく確信

● 観念を変えると決められれば、もう勇気は必要なくなります。

● 今度は、その人の内側に、究極的に平和で穏やかな「知っている感覚」、つまり確信が出てきます。
この確信が行動をとらせるのです。
勇気ではありません。

● 勇気は「進んで行動を起こそう」という「気持ち」にはさせてくれます。
しかし、実際に行動を起こす電動力になっているのは、「確信」です。

● ただ、このふたつが非常に短い時間に起きるので、本人は「勇気を奮いたたせて行動した」と感じるかもしれません。

(『バシャールのワクワクの使い方・実践篇』 バシャール(ダリル・アンカ) 176~177ページより)



2015年3月8日日曜日

日曜日の「抜き書きしないでルンルン♪」 本の中の本また買ってしまいました!



本の中で出てくる本を読みたくなってしまうというこの衝動・・・。
とくに大好きな花村萬月さんが語っているとなるとやっぱりまた買ってしまいました!!
『裂』に著者の花村萬月さんご本人も登場するのです。
この小説とても面白いです!!!

● 「そういえば<GA・SHIN!我・神>という本がでましたね。まだ読んでいませんけれど、なんだか挿絵やデザインが本文を侵蝕していて、レイアウトの極致って感じでしたが。担当者は、さぞや苦労なさったことだろうと」

● とすると <GA・SHIN!我・神>はテキストとイコンの合体を目指したものなのだろうか。

● 「つまり自分自身でつくりあげたオリジナルな律を用いて執筆すれば、それがどんなに途方もないことでもだいじょうぶ」

● 「律をつくりあげられないと、どうなるのです」
 「律のない虚構は、『裂』となる。裂けるーーーの裂だよ」

● 「もちろん第三者に伝える気がないなら、つまり小説家という職業に就く気がないならば、裂でかまわない。完全に自身に奉仕するための虚構ならば、ね」

(『裂』 花村萬月 127~132ページより)



2015年3月7日土曜日

今朝の枕頭読書 『ほんとうの心の力』より



● 健康や運命に関係なく、いつも元気でいられるのが人間である。

● 今後はこの真理を絶対に貴重な悟りとして、たとえわが身に何事が生じようと、またいかなる事態に会おうとも、完全に生きるための根本基礎となる心の状態を、断然消極的にしてはならない。

● いつも「清く、尊く、強く、正しく」という積極的態度で終始しなければならない。
そうすれば、自分でも不思議なほど、元気というものが湧き出してくる。

● そしてその元気、つまり元の気が、ただちに「先天の一気」を呼びよせ、つまり原動力となり、健康的にも、運命的にも、すべてのことが完全に解決されてくる。

● 元気という気が出たときに、人間と大自然が完全に結びついたことになるからである。
事実、元気が出たときには、何ともいえない爽快さを感じるものである。

● とにかく、元気ハツラツたる状態で生きることこそ、最も必要かつ大事なのであるから、心の置所を常に積極的にするために、「自分は力だ」ということを、断じて忘れてはならない。

(『ほんとうの心の力』 中村天風 112~113ページより)



2015年3月6日金曜日

ワクワクしちゃう論語♪♪ 『生きるための論語』より




● 子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。

●  この章の私の読み下しと解釈は以下である。

子曰く、學んで、時にこれに習う。また悦(よろこば)しからずや。朋、遠方より來たるあり。また樂しからずや。人、知らずして慍(いか)らず。また君子ならずや。

先生が言われた。
何かを学び、それがある時、自分自身のものになる。
よろこばしいことではないか。
それはまるで、旧友が、遠方から突然訪ねてきてくれたような、 そういう楽しさではないか。
そのよろこびを知らない人を見ても、心を波立たせないでいる。
それこそ君子ではないか。

● この「学習」という考えは、論語の秩序論の根幹を為す。
この章が示すように、学習過程が開かれていることが、君子の条件である。
逆にそれが停止している人を「小人」というのだと私は解釈する。

● 孔子の考えでは、君子が社会の中枢を担っていることが、社会秩序形成の基礎である。

● 君子が居れば、周辺の小人はそれに感化されて学習過程を開く。

● 小人もまた心を開いて学習過程を作動させ、君子のように振る舞う。こうして社会に秩序が生まれる。

● 私の見る限り、この『論語』はこの「学習に基づいた社会秩序」という思想を、最も早く、最も明瞭に表現した書物である。
しかし、私は、これが孔丘という人物の独創だとは思わない。
それは、彼自身が繰り返し、自分の思想は、古の聖人の教えそのままなのだ、と言っているとおりだと思う。
孔丘がそれ以前の聖人と違ったのは、その言語が文字として記録された点である。
それも、彼自身が書いたのではなく、彼の弟子やその弟子が書き留めたものである

● 人間社会が人間の学習能力によって秩序化される、という思想は、おそらく、人類社会に普遍的に見られ、あらゆる時代のあらゆる場所で知られていることではないかと思う。
しかし往々にして人類は、学習過程を停止する誘惑に駆られ、常にそれを忘却する。
そして学習過程の停止こそが「規範」であり、その作動は「逸脱」である、という邪説を広めようとしてきた。

● 論語の思想にしても、ここ二千年くらいは、むしろ学習を停止させる方向で読まれてきた。
しかし、それでも古典というものは、いつも生命を回復させる
論語は、繰り返し、新しい生命を吹きこんで、思想を蘇らせてきた。
現代の我々はこの思想をまさに必要としているのではないだろうか。

(『生きるための論語』 安冨歩 14・25~29ページより)



今朝の枕頭読書 『50代でしなければならない55のこと』より



● 「好きなこと」は、それをやっていて見返りを求めないことです。

● たとえば、子どもの時に好きだった将棋を始めました。
「うまくならない」→「強くならない」→「だから辞めた」となる人がいます。
強くなることが本人の中では見返りになっているのです。

● 「弱くてもいいから好き」「それをやっているだけで楽しい」となっていません。

● 「うまくなること」「相手に勝つこと」を求め始めると、その人は本当に好きなことには出会えなくなります。

● 習いごとが三日坊主になる人は、うまくなる、ほめてもらえるという見返りを求めています。

● 好きなことは、その見返りの上にあるのです。

(『50代でしなければならない55のこと』 中谷彰宏 88~91ページより)

2015年3月5日木曜日

今夜の枕酒読書 『愛に生きる』より



● いまの社会には、自分は生まれつき能がないからどうしようもないと観念し、あるいは、運命だからとあきらめてしまっているひとがたいへん多いように思います。
そのために、生き生きとした喜びを、ほんとうの生命の喜びを感じることができないで一日一日を送っている。
これは、人間の、いちばんのふしあわせといわねばなりません。

● 人間の能力は生まれつきではない。

● 現実の多くのひとびとは、よい能力が育つ環境が与えられないで、育てそこなわれ、しかも、生まれつきだと決められ、それを自分もそうだと決めています。
これはみんなまちがいです。

● ”能力は生命である”というわたしの信条

● 人間のすべてをつかさどっているのは生命の力です。
生きようとする生命活動ーーーそれが環境条件に応じて大きな力を発揮します。
ただ、鍛えることによって、人間の生命活動は本来の姿を現わし、能力を生みます。
その能力は、さらに休みなく訓練することによってすべての困難を解決し、より高い能力となっていきます。
これが、人間とその能力との関係です。

● 考えるだけでなく実行することだ

● 生命は行動する者においてのみその力を発揮し、したがって、どのような能力も、実行を怠る者には備わることはありません。

● たとえ自分に才能がなくても、一個の人間として、自分の内面的な生活を築くために、その歩みはおそかろうと、一歩一歩自分を育てていかなければならない。
その努力を捨てることはできない。ーーーこの芸術追求の心が、極度の絶望からわたしを救ったのです。

● わたしは急がなかった。
しかし、わたしは休まなかった。
休みなく努力を続けた。
そしてそれが、張り合いと静かなこころとを与えてくれました。

● その精進のおかげで、わたしにはわたしなりの能力が育ってきました。
「自分には才能がない。」
この悩みと悲しみは、なんというつまらない、ばかげたものであったかと思います。
それは、いつのころからか、人間全体に植えつけられた、まちがった考え方であり、努力を避けるもの、怠ったもののいいわけだったのです。

● へたな努力をすれば、へたな才能が育つ。
すぐれた才能を示したひとびとは、それだけ正しくよい努力を積み重ねたひとびとである。

● 正しくよい努力とはどんなものかーーーそれは、くり返しやるということです。
一つのことができたら、それを徹底的にくり返してやることです。


● ”能力が育っていればやさしく感じる”ということです。
やさしく感じるようになるまでやるーーー自分自身の能力を育てる秘訣はここにあります。

● 自分の能力を育てるのはだれか。
生まれつきで能力は育っていくのではない。
それは自分だ。
みんな、自分が自分を育てるのだ。

● 自分の能力をつくろうとしないで、能力がないと嘆くのをやめよ。

● 育つようにしてやりもしないで、生まれつきだめだと考えるのは、おまえの愚かさだ。

● おまえ自身を、そのように毎日訓練すれば、力が生まれ、感覚が育ち、おまえの能力が育ってくる。

● いかなる能力も、生まれつきで発揮されることはない。
自分で育てる努力をするとき、能力はつくられていく。
つくるものは自分自身だ。

● くり返してやったからだ。
人間として非凡になることも、その方法は同じことだ。
できたことも、それでやめては身につかない。
できたことをもう一度やってまたでき、またやってもっとでき、さらにやってもっとりっぱにでき・・・・・・というように、できたことをくり返す。

● 自分のために、自分が骨を折れ。
自分のなかに最初からあるものが働いて、なんでもできるのだという常識は誤りだ。
おまえがらくにできることがあったら、それは能力が身についている証拠だ。
身につくーーーそれは、身につくまで努力し、くり返していくことによって達成できるーーー。
以上はわたしの自戒です。

● りっぱになっていく原則は、身につけた力を、ぎりぎりの高さにまで築き上げていくことです。

● 決心し行動することは希望をもって生きることです。
高く大きな山を望むことです。
困難はありましょう。しかし失望はありません。
だれも、一足飛びにすぐ頂上には達せられない。
そして、登るからには一歩一歩近よらなければなりません。
急ぐべからず。これが原則です。
急いで倒れてしまってはなんにもなりません。
休むべからず。これも原則です。
だれがなんといおうとも、休まず急がず黙々と歩を運んでいれば、必ず行き着いてしまいます。
つぎに、根気よく、しんぼう強く打ちこむーーーこのことが、世にいう”勘”を育てるためにも、絶対に必要であり、そして、その”勘”が仕事を容易にし、達成への大きな力になる

● 目前の利益・効果が上がらなくても、こんなことをやってなにになるか、などという利口な考え方をしない。
人間の将来への夢をもち、だから、いつ死んでも自分は悔いないと思っている。
そして、すぐやめたりしないで、気ながに、ひたむきに、一歩一歩仕事をしていく。
そうすれば、なんでもたいていのことはできる。

● 音楽・・・・・・音。
なんという不思議な力をもった存在であろう。
わたしはこのとき悟ったのでした。
人間は知恵に生きているのではない。
人間は、すばらしい生命の働きのなかに生きているのだ。
”音にいのち在り、姿なく生きて”
これがわたしの座右のことばとなったのはこのときです。

● 生命の求めるところに従うーーーしかし、その生命とはなにか。
わたしたちの生きようとする生命は、つねに喜びに向かっているのです。
知恵に従えば不自然になる。

● 人類は、ことばと文字という文化を創造すると同時に、音楽というすばらしい文化をつくりました。
それは、ことばや文字を越えた生命のことばーーー神秘ともいうべき生きた芸術です。
そこに音楽の与える感動があるのです。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン・・・・・・は、ことごとく、その音楽のなかに、まざまざと生きて、わたしたちの生命に強く語りかけ、わたしたちを浄化し、高め、無常の喜びと感動を与えてくれている。

● だれでも、やればいいな、と思うことは日常いくらでも経験します。
やればいいと思うことや、やらねばならぬと思う能力はみんなにある。
しかし、思うだけで終わり、実行に映すひとはひじょうに少ない。

● 「思うだけでは能力ではない。それは、思わないのと結果は同じだ。やってのけてこそ、能力なのだ。思ったら行う能力を身につけよう。」

● 小さいときから、親や他のひとに、やりなさいとか、やれとか命令され、強制された。
そして反抗心をいだきながら、いやいやにやったり、わざとやらなかったりする心が育ち、そういう能力が身についてしまったのではないでしょうか。

● そういう身についた力が無意識のうちに働いて、やろうと思ってもすぐできない。
いいことだと思っても素直に、しぜんに行動できないような自分ができあがってしまっているからではないでしょうか。
しかしこれは、人生の大きな損失です。

● あのときやっておけばよかった。
いいチャンスだったのに、おくれてしまって、 せっかくのチャンスをつかみそこなった。
すぐに行動に移す能力をもたないために、こうしたことがつもりつもって、そういうひとの一生は結局運がひらけないことになるのです。
すべてあとのまつりになってしまう。
チャンスというのはだれにもあるのです。
チャンスはあるけれども、本人に、それをつかむ行動がない。
行動がないということは、みずからチャンスを放棄しているということです。

● 実行する能力を身につけるーーーこれは、あらゆるひとにとって、この人生の、いちばんだいじなことではないかと思います。
人生の成功も失敗も、実にこの一つにかかっている。
それではどうしたらいいか。
実行する習慣を身につけるーーーこの、いうはやすく行うことの困難なことを、今日ただいまから実行することです。
やれば必ず身につきます。
かけがえのない能力となります。
知っていながら行わないーーーそれが、インテリと自認しているひとびとに多く見られる弱点です。
くどいようですが、知識はただ知識であって、能力ではない。
知識がみについたとき、はじめて能力といえるのです。

● 実行ということは、反省というだいじなこととも切り離せない関係があります。

● 判断力のすぐれたひとは、能力のすぐれたひとです。
反省の能力も判断能力の一つです。
ですから、すぐれたひとこそ、反省能力のきわめて高いひとだというのも当然でしょう。

● 自己育成の日々において、自己反省がたりないということは、向上の道を閉ざされたひとです。
”反省多きひとはしあわせなり”ということでしょう。
しかし、同時に、”反省多きひとは不幸なり”ということもあるのです。
むしろそれが多い。なぜか。
いたずらに反省だけがあって、自己矯正という実行が伴わない。
ーーー後悔につぐ後悔だけだからです。

● 反省のしっぱなしは、反省を無意味にし、やがて、反省の放棄という道をたどらせます。
反省しても改めないということも、思ったことを実行に移さないのと同じです。
しかし、自己矯正ということはひじょうにむずかしい。
この能力を養わなければ、反省という人生最大の道案内ーーー足もとを照らす光も消えてしまうのです。

● 反省はしてもなかなか自己矯正ということはむずかしいということから、矯正ではなくて、新しい能力をつくるのだ

● 反省を生かすには、反省したとき、すぐに正しいことを行動に移し、自分に欠けているよりよいことを、新しく身につけなければなりません。
そうでなければ、反省は、ただ思うだけに終わってしまいます。

● なにごとにもあれ、道をひらくということは、新しい能力をつくることです。
行動が伴わなければ、なにを思い、なにを反省しても、なにもならない。
ですから、行動する、実行する能力をつくる

● くり返しくり返すことによってなにごとも身につく、能力となる。
この鉄則をここでも生かし、どんな小さなことでも、気づいたことはすぐ実行に移す。

● これが身につき習慣になれば、わたしたちは、不可能と考えられたことも可能になり、閉ざされた道もひらけてくる

● ”やればできる”といういい古されたことばを、単なることばととってはいけないし、ひとごとだと思ってもいけない。
すべてのひとに、それはあてはまる事実なのです。

(『愛に生きる』 鈴木鎮一より)



2015年3月4日水曜日

今夜の枕酒読書 『人間はその人の考えそのものである』より



● 純粋な感動が得られる機会をより多く持つ

● よい音楽やすぐれた美術品に触れることは、成功やよりよい人生に直接関係ないことのように思われるかも知れません。
だが、真の成功、真に充実した人生は、いずれもレベルの高いものであり、人は誰でも成長することなしに、自分の望むそれらを手に入れることはできないのです。

● 私たちはとかく目先の事柄に心を奪われがちで、今どうするか、明日どうするか、数ヶ月先どうするかといったミクロのことに気持ちがすぐに向いてしまいます。
むろんミクロのことも大切ですが、同時にマクロの視点に立った生き方も必要です。

● しかし現実問題としてミクロの問題に忙殺されている人が、そう簡単にマクロの視点にたった考え方や行動をすることは難しい。
ここに人生を生きる難しさがあります。
潜在意識によいメッセージを送りたくても、今日明日のことで頭がいっぱいだったら、とても送ることはできません。

● 音楽や美術はどんな人でも容易に触れることができるものです。
そして時に強烈なインパクトを与えます。
そのインパクトはプラスの刺激になって、潜在意識に働きかける。
すぐれた芸術作品にはそういう目に見えない力が秘められているのです。

● あなたが人生の袋小路にあったり、大きな悩みや苦しみを抱えているなら、ぜひよい美術品やよい音楽にふれる機会を見い出すことです。
それによって感動できる機会が得られれば、潜在意識によいメッセージを送ることができるはずです。

(『人間はその人の考えそのものである』 西田育生 72~73ページより)


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今夜はアンドレア・ボチェッリのこの3枚のアルバムを聴きながら♪
この3枚もとっても素敵で大好きなアルバムです!

「ワクワクしちゃう論語♫」、「爛漫たるバシャール語録☆彡」、「『憑きにつかれた男』より」のつづきも明日からウキウキです!!!


燃える心を~ヴェルディ・アリア集



アランフエス~センチメント



Opera Import



2015年3月3日火曜日

今夜の枕酒読書 『本調子』より



● だいたい利口になるってことは
「自分がバカだ」って気がつくことなんですよ。
そして、自分がバカだって気づいたとき、
人はだいたい利口になっているものなんです。

● ところが人は、自分がバカなんだってことになかなか気がつけない。

● でも、そこで頑固頭になっちゃだめなんです。
頭をゆすってゆすって、ふってふって、
本を読んだりして知ったことを、頭の中の下のほうへ下のほうへ
落とし込んでいくんです。
そうすると隙間ができてくるから、そこにまた本を読んで知恵を入れるんだ。
それが読書ってもんなんだよね。

● 本を読まなきゃ何もわかんねえんだよ。

● 何のために本を読むかっていうと、多方面にわたっていろんな本を読んだりしながら頭を研ぎ澄ましていると、
絶妙な直観のようなものが生まれてくる。
そうすると、その直観で、これから世の中がどうなるとか、こうなるとかっていうのがわかってくるんだよね。

● 一つの直観を出したり一つの答えを出したいなら、
5冊とか10冊とかいろんな本を読む。
直観も答えも、そうして初めて出てくるものなんだ。

● その一つ一つをつなぎ合わせたとき、自分の中で何かができ上がるんだよ。

● 成功しない人は自分に関係ないものに一生懸命になるんですよ。

● 要するに、自分に関係のある本を読むんです。

● 必ず自分の仕事に関係のある本。仕事に関係のある本をじっ~と読んでいくんだよ。

● まず自分に必要なものに興味を持つ。それでそのことに賭けてくんだよ。

● 本でも何でも、自分の必要な本から読むの。

● しっかり自分の的をしぼって、
人はどうやって生きるべきかをまず考えて、それに必要なものを読む。

● 本だって自分の的をしぼりな。
なにをやるべきかの的をしぼって、その勉強をすればたいがい大丈夫だから。

● 今自分に必要なものをやる。

● じぶんのことよ~く考えて分析してごらん。
そしたら自分の好きなことが必要のない場合があるんだよ。
自分の好きなことと自分に必要なことがぴったり一致してる人は、
好きなことをやりながら出世しちゃうんだよ。

● それでよく「人生、好きなことやってみな、成功するから」っていうのは、
成功者が言うことなんだよ。
自分の好きなことやって成功したんだよ。好きなことと必要なことが同じだから。

● ところが普通の人間はそうじゃないの。
役に立たねえことに興味があるんだよ、必ず。
それやって、それに金使って、労力使ってて、人生駄目になっちゃうんだよ。

● 人はたいがい努力してんだよ。ただ行く方向がちがうだけなんだって。
あんたの努力は、反対の方の努力してんだよ。
だから、どんどん不幸になっていっちゃうの。

● 成功する人も不幸になる人も、一日は24時間で、やってることは同じなんだよ。
同じ頭で同じようなことしてるんだよ。
それがなぜこんなに人生がちがっちゃうのかっていうと、
そういう人っていうのは必要のないことが好きなんだよ。
自分にとってマイナスになるようなことに命賭けちゃうの。

● 自分の努力でホントに行きてえほうに変えていかなきゃ駄目なんだよ。

(『本調子』 187~218ページ 斎藤一人より)




2015年3月2日月曜日

昨夜の枕酒読書 『50代でしなければならない55のこと』より



● 「生きている」人は、何かをしている。

● 「死んでいない」イコール「生きている」ではありません。

心臓が鼓動しているというのは、単に死んでいないだけです。

その人が何かをしていなければ、生きていることにはなりません。
「何かを持っている」だけでは、生きていることにはならないのです。

● 死んでいない状態の50代は、そこからひたすら下り坂しかありません。
生きている50代は、そこからまだ上り坂にあります。
50代は、「死んでいない」と「生きている」の違いを明確に意識する必要があるのです。

● 「生きている感じ」がすることをしよう。

(『50代でしなければならない55のこと』 中谷彰宏 65~66ページより)



2015年3月1日日曜日

日曜日の「抜き書きしないでルンルン♪」 大好きな音楽 アンドレア・ボチェッリ!



アンドレア・ボチェッリの音楽との出合いは、アルバム『君こそすべて~デイヴィッド・フォスター&フレンズ ライヴ』です。
そもそもこのアルバムは、ブライアン・マックナイトの「アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」が聴きたくて買ったものなのですが、はじめて聴いたアンドレア・ボチェッリの「アマポーラ」もとても素敵だったのです!!
アルバム『君こそすべて~デイヴィッド・フォスター&フレンズ ライヴ』は、とても素敵でおすすめです。
しかし、この映画のテーマ曲が好きでサントラまでもっているというのに、映画『セント・エルモス・ファイア』の「愛のテーマ」がデイヴィッド・フォスターの作品であったということをこのアルバムではじめて知ったという、なんというぼんやりぶりです。
『君こそすべて~デイヴィッド・フォスター&フレンズ ライヴ』は、わたしに素敵な出合いと発見をもたらしてくれたアルバムです。



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わたしがアンドレア・ボチェッリのライブ映像でいちばん好きなのは、『ライブ・イン・トスカーナ』です!



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そして、もちろん本『沈黙の音楽』も一気に読んでしまいました!!

● 前よりもずっと深く、はっきりと自分の住む田園地帯を愛していると感じるようになった。
遠くで畑仕事をしている耕作機の音や小鳥のさえずりを聞きながら静けさの中にいると彼は何もかも忘れ、不思議と心が安らぐのだった。
あらゆるものが自分のために、自分の心の安らぎと喜びのために創造されたのではないかとさえ思った。

● 香りのいい草花や熟した果実、菜園、肥料、ブドウの絞り汁など、あらゆる匂いを胸いっぱいに吸い込むと、それらすべての音と匂いが身体の中に染み込み、滋養分となった。
彼は何ともいえない陶酔感と幸福感に浸り、全身に力が漲るのを感じた。
誰にというわけではなく、生きていることに感謝したくなった。

● 精神の安らぎこそ、他人の攻撃から自分を守る最大の砦となるからだ。
そして、自分の心の中の秘密を知っている自分自身以外は、誰もその砦を壊すことは出来ない。

● アモスはほとんど一日中一人で過ごしたが、ちょうどその頃、オペラ歌手にとって不可欠とされる沈黙を守る習慣を身に着けた。
20世紀最高のオペラ歌手はみんな自分なりにその方法を身に着けていたので、彼もそれに習おうとした。
最初のうちはとても苦痛で、とりわけ人と一緒にいるときに黙っているのは難しかった。
けれども、一人でいるときには沈黙を守ることがけっして疲れないばかりか、心の平穏と幸福感を与えてくれることが分った。
自分の意見を言わず、他人の話に口をはさまず黙って聞くというのは、彼にとって苦痛以外の何ものでもなかった。
けれども、他人の批判を甘んじて受けたり、他人に失望させられたり、自分の意見が無視されることに不安を感じたりすることによって、彼はむしろこれまで以上に意志の強い人間になることが出来た。

● 声楽の先生に宛てたある手紙の中で、アモスはこう書いている。
「沈黙を守る方法を熱心に教えてくれたことに、心から感謝します。
それは自分の声のためばかりでなく、自分の精神にとって大いに役立っています。
それによって自分自身を知り、他人をより深く理解することができるようになりました。
人が互いに相手に向けて大声で言葉を浴びせかける様子を、冷静に見ていることが出来ます。
何気ない会話の中で、人は無益なことや馬鹿馬鹿しいこと、くらだないことをさんざん言い合い、逆に大切なことは見失ってしまうようです。
それは、相手の言い分を聞こうとしないという誤った態度のせいです。
そのうえ、人はいつも自分の言いたいことを十分言っていない、あるいは相手を十分に説得出来ていないという、不安感を抱いているのです!
沈黙の中で聴こえてくる音楽から、私は多くのことを学び、これからもまだまだ新しいことを学ぶでしょう!」

● 本書は”アモス”という名の一人の少年の成長と成功を描いた物語だが、そこにはもちろん、ボチェッリ自身の半生が色濃く投影されている。
完全な意味での「自伝」ではないにしても、彼のこれまでの生き方や思想、音楽への姿勢がありのままに綴られており、その点でボチェッリの人となりを知る貴重な著作である。
あえて物語風の体裁を取ったのは、ボチェッリ自身も言う通り、出来るかぎり私情や先入観を交えずに自らの人生を振り返りたいと考えたからだろう。
そこには、自分の人生を声高にでなく、さりげなく語ろうとするボチェッリの謙虚な態度が見て取れる。

● 常に前向きに自分の人生に立ち向かう一人の人間の姿を描いたこの物語は、ボチェッリの歌と同じくらい、人々に力と勇気と癒しを与えてくれるはずだ。

(『沈黙の音楽』 アンドレア・ボチェッリより)