2015年3月5日木曜日

今夜の枕酒読書 『愛に生きる』より



● いまの社会には、自分は生まれつき能がないからどうしようもないと観念し、あるいは、運命だからとあきらめてしまっているひとがたいへん多いように思います。
そのために、生き生きとした喜びを、ほんとうの生命の喜びを感じることができないで一日一日を送っている。
これは、人間の、いちばんのふしあわせといわねばなりません。

● 人間の能力は生まれつきではない。

● 現実の多くのひとびとは、よい能力が育つ環境が与えられないで、育てそこなわれ、しかも、生まれつきだと決められ、それを自分もそうだと決めています。
これはみんなまちがいです。

● ”能力は生命である”というわたしの信条

● 人間のすべてをつかさどっているのは生命の力です。
生きようとする生命活動ーーーそれが環境条件に応じて大きな力を発揮します。
ただ、鍛えることによって、人間の生命活動は本来の姿を現わし、能力を生みます。
その能力は、さらに休みなく訓練することによってすべての困難を解決し、より高い能力となっていきます。
これが、人間とその能力との関係です。

● 考えるだけでなく実行することだ

● 生命は行動する者においてのみその力を発揮し、したがって、どのような能力も、実行を怠る者には備わることはありません。

● たとえ自分に才能がなくても、一個の人間として、自分の内面的な生活を築くために、その歩みはおそかろうと、一歩一歩自分を育てていかなければならない。
その努力を捨てることはできない。ーーーこの芸術追求の心が、極度の絶望からわたしを救ったのです。

● わたしは急がなかった。
しかし、わたしは休まなかった。
休みなく努力を続けた。
そしてそれが、張り合いと静かなこころとを与えてくれました。

● その精進のおかげで、わたしにはわたしなりの能力が育ってきました。
「自分には才能がない。」
この悩みと悲しみは、なんというつまらない、ばかげたものであったかと思います。
それは、いつのころからか、人間全体に植えつけられた、まちがった考え方であり、努力を避けるもの、怠ったもののいいわけだったのです。

● へたな努力をすれば、へたな才能が育つ。
すぐれた才能を示したひとびとは、それだけ正しくよい努力を積み重ねたひとびとである。

● 正しくよい努力とはどんなものかーーーそれは、くり返しやるということです。
一つのことができたら、それを徹底的にくり返してやることです。


● ”能力が育っていればやさしく感じる”ということです。
やさしく感じるようになるまでやるーーー自分自身の能力を育てる秘訣はここにあります。

● 自分の能力を育てるのはだれか。
生まれつきで能力は育っていくのではない。
それは自分だ。
みんな、自分が自分を育てるのだ。

● 自分の能力をつくろうとしないで、能力がないと嘆くのをやめよ。

● 育つようにしてやりもしないで、生まれつきだめだと考えるのは、おまえの愚かさだ。

● おまえ自身を、そのように毎日訓練すれば、力が生まれ、感覚が育ち、おまえの能力が育ってくる。

● いかなる能力も、生まれつきで発揮されることはない。
自分で育てる努力をするとき、能力はつくられていく。
つくるものは自分自身だ。

● くり返してやったからだ。
人間として非凡になることも、その方法は同じことだ。
できたことも、それでやめては身につかない。
できたことをもう一度やってまたでき、またやってもっとでき、さらにやってもっとりっぱにでき・・・・・・というように、できたことをくり返す。

● 自分のために、自分が骨を折れ。
自分のなかに最初からあるものが働いて、なんでもできるのだという常識は誤りだ。
おまえがらくにできることがあったら、それは能力が身についている証拠だ。
身につくーーーそれは、身につくまで努力し、くり返していくことによって達成できるーーー。
以上はわたしの自戒です。

● りっぱになっていく原則は、身につけた力を、ぎりぎりの高さにまで築き上げていくことです。

● 決心し行動することは希望をもって生きることです。
高く大きな山を望むことです。
困難はありましょう。しかし失望はありません。
だれも、一足飛びにすぐ頂上には達せられない。
そして、登るからには一歩一歩近よらなければなりません。
急ぐべからず。これが原則です。
急いで倒れてしまってはなんにもなりません。
休むべからず。これも原則です。
だれがなんといおうとも、休まず急がず黙々と歩を運んでいれば、必ず行き着いてしまいます。
つぎに、根気よく、しんぼう強く打ちこむーーーこのことが、世にいう”勘”を育てるためにも、絶対に必要であり、そして、その”勘”が仕事を容易にし、達成への大きな力になる

● 目前の利益・効果が上がらなくても、こんなことをやってなにになるか、などという利口な考え方をしない。
人間の将来への夢をもち、だから、いつ死んでも自分は悔いないと思っている。
そして、すぐやめたりしないで、気ながに、ひたむきに、一歩一歩仕事をしていく。
そうすれば、なんでもたいていのことはできる。

● 音楽・・・・・・音。
なんという不思議な力をもった存在であろう。
わたしはこのとき悟ったのでした。
人間は知恵に生きているのではない。
人間は、すばらしい生命の働きのなかに生きているのだ。
”音にいのち在り、姿なく生きて”
これがわたしの座右のことばとなったのはこのときです。

● 生命の求めるところに従うーーーしかし、その生命とはなにか。
わたしたちの生きようとする生命は、つねに喜びに向かっているのです。
知恵に従えば不自然になる。

● 人類は、ことばと文字という文化を創造すると同時に、音楽というすばらしい文化をつくりました。
それは、ことばや文字を越えた生命のことばーーー神秘ともいうべき生きた芸術です。
そこに音楽の与える感動があるのです。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン・・・・・・は、ことごとく、その音楽のなかに、まざまざと生きて、わたしたちの生命に強く語りかけ、わたしたちを浄化し、高め、無常の喜びと感動を与えてくれている。

● だれでも、やればいいな、と思うことは日常いくらでも経験します。
やればいいと思うことや、やらねばならぬと思う能力はみんなにある。
しかし、思うだけで終わり、実行に映すひとはひじょうに少ない。

● 「思うだけでは能力ではない。それは、思わないのと結果は同じだ。やってのけてこそ、能力なのだ。思ったら行う能力を身につけよう。」

● 小さいときから、親や他のひとに、やりなさいとか、やれとか命令され、強制された。
そして反抗心をいだきながら、いやいやにやったり、わざとやらなかったりする心が育ち、そういう能力が身についてしまったのではないでしょうか。

● そういう身についた力が無意識のうちに働いて、やろうと思ってもすぐできない。
いいことだと思っても素直に、しぜんに行動できないような自分ができあがってしまっているからではないでしょうか。
しかしこれは、人生の大きな損失です。

● あのときやっておけばよかった。
いいチャンスだったのに、おくれてしまって、 せっかくのチャンスをつかみそこなった。
すぐに行動に移す能力をもたないために、こうしたことがつもりつもって、そういうひとの一生は結局運がひらけないことになるのです。
すべてあとのまつりになってしまう。
チャンスというのはだれにもあるのです。
チャンスはあるけれども、本人に、それをつかむ行動がない。
行動がないということは、みずからチャンスを放棄しているということです。

● 実行する能力を身につけるーーーこれは、あらゆるひとにとって、この人生の、いちばんだいじなことではないかと思います。
人生の成功も失敗も、実にこの一つにかかっている。
それではどうしたらいいか。
実行する習慣を身につけるーーーこの、いうはやすく行うことの困難なことを、今日ただいまから実行することです。
やれば必ず身につきます。
かけがえのない能力となります。
知っていながら行わないーーーそれが、インテリと自認しているひとびとに多く見られる弱点です。
くどいようですが、知識はただ知識であって、能力ではない。
知識がみについたとき、はじめて能力といえるのです。

● 実行ということは、反省というだいじなこととも切り離せない関係があります。

● 判断力のすぐれたひとは、能力のすぐれたひとです。
反省の能力も判断能力の一つです。
ですから、すぐれたひとこそ、反省能力のきわめて高いひとだというのも当然でしょう。

● 自己育成の日々において、自己反省がたりないということは、向上の道を閉ざされたひとです。
”反省多きひとはしあわせなり”ということでしょう。
しかし、同時に、”反省多きひとは不幸なり”ということもあるのです。
むしろそれが多い。なぜか。
いたずらに反省だけがあって、自己矯正という実行が伴わない。
ーーー後悔につぐ後悔だけだからです。

● 反省のしっぱなしは、反省を無意味にし、やがて、反省の放棄という道をたどらせます。
反省しても改めないということも、思ったことを実行に移さないのと同じです。
しかし、自己矯正ということはひじょうにむずかしい。
この能力を養わなければ、反省という人生最大の道案内ーーー足もとを照らす光も消えてしまうのです。

● 反省はしてもなかなか自己矯正ということはむずかしいということから、矯正ではなくて、新しい能力をつくるのだ

● 反省を生かすには、反省したとき、すぐに正しいことを行動に移し、自分に欠けているよりよいことを、新しく身につけなければなりません。
そうでなければ、反省は、ただ思うだけに終わってしまいます。

● なにごとにもあれ、道をひらくということは、新しい能力をつくることです。
行動が伴わなければ、なにを思い、なにを反省しても、なにもならない。
ですから、行動する、実行する能力をつくる

● くり返しくり返すことによってなにごとも身につく、能力となる。
この鉄則をここでも生かし、どんな小さなことでも、気づいたことはすぐ実行に移す。

● これが身につき習慣になれば、わたしたちは、不可能と考えられたことも可能になり、閉ざされた道もひらけてくる

● ”やればできる”といういい古されたことばを、単なることばととってはいけないし、ひとごとだと思ってもいけない。
すべてのひとに、それはあてはまる事実なのです。

(『愛に生きる』 鈴木鎮一より)



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