2015年2月17日火曜日

いま読んでいる論語の本!



● 『論語』二十章の講話

● この二十章も、先生はそれが私たちの生活に関係深く実行可能な章を選んでおられるように思われる。然もその一章、一章は先生自身の日常生活に実践されていて、単なる観念的な説明は一つもないと言ってもよい。

● 先生は孔子や弟子の言葉を自身の経験と照らしあわせて、一語一語を楽しむかのように話されているのである。

● 本書で一貫して先生が説かれていることの一つは、学問は単なる知識の集積ではなく自分自身を変えていくこであると、活学の大切さを述べられ、古典と雖も、自分自身で深く考え、疑問と思ったことを二十年・三十年後に解決するという息の長い真剣な態度が必要であると強調しておられる。又それについてのご自身の体験をも語っておられるのである。

● 本書の特色は、平澤先生が『論語』を通して自らの深い人生観を語っておられるところにある。それも実に平易な言葉で、誰にでも分かるように、そして、その一語一語に人生の深い叡智が秘められているのである。実に得難い『論語』講話であると確信する。

(『論語を楽しむ』 平澤興 239~244ページ 後記より)




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● 物質面でも精神面でも、自分自身が”素晴らしい”と感じるものを追い求め、かつ、それが世のため人のために役立つとしたら、こんなに素晴らしい人生はないはずです。孔子は、こんな「情熱」の人生を理想とし、そのために正しい自分観、人間観、世界観を育むことの意味を教えたのです。

● 人間として生を受けた以上、誰しも自ら望むように生きたいものです。できるだけ豊かに生きたいし、充実した生を謳歌したいと願うはずです。

● 学ぶことは決して知識の詰め込みではなく、また点数至上主義でもありません。人間が悩み、惑い、生きる意味を探りながら、人生をまっとうしていく。学ぶことはその指針であり、またエネルギーになるものだと考えています。そんな観点から、私は『論語』の言葉を借りて、本書で学ぶことの意味を考えていきたいと思っています。

(『何のために論語を読むのか』 孔健 1~5ページ はじめにより)




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● 私は生徒が何に躓くのか調べてみた。その結果、判明したのが以下の三点である。

一 弟子の言葉が偉そうで 「ウザッタイ」
ニ 人物評や政治抗争や宮廷儀礼を述べた箇所が 「ジャマクサイ」
三 口語訳だけでは意味が分からず、注を読まないと理解できないので 「カッタルイ」

● そこで私は、孔子の言葉だけを、あたかも自分が孔子であり、生徒が弟子であるかのごとく講読してみた。すると、生徒はそれまでより遥かに興味を示したばかりか、自分流に解釈するようにさえなったのだ。

● 本来、古典というものは時代や個人に即した解釈が許されるものだろう。だからこそ読み継がれてきたのだ。しかし『論語』は聖典とされるあまり、いささか教条的に扱われ過ぎてきた。その結果、訳者も読者も構えすぎて共に疲れ果ててしまうのだ。

● 本書はこれまでの経験を踏まえ、読者が肩を凝らさずに読めるように『論語』を構成し直し、補筆・翻訳したものである。

(『高校生が感動した「論語」 佐久協 3~4ページ まえがきより』)




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● 近代以来、『論語』の解説書も数知れないが、その多くは「新しい」歴史か古臭い人生訓に過ぎなかった。
安冨さんは、経済学や複雑系などの研究を通して、如何にして人間は幸福に生きられるのか、という最も重要で根本的な問題を、最先端の方法で研究してこられた。
そのような研究の蓄積を背景において、『論語』という古典も読んでこられた。
そして、何とか『論語』から新たな智慧を引き出そうと、努力を積み重ねてこられた。
安冨さんが本書で提示しているのは、正にその生きた「智慧」であり、「空」のような智慧の抜け殻でもなければ、言い古された人生訓でもない。

● 本書は又、久しく枯渇して歴史文献とされている『論語』を、再び精神的源泉としての古典に蘇らせようとする試みでもある。
多くの読者が本書に触発されて、人と古典との間に、智慧の泉が滾々と流れ出すことを私は夢見る。

● 私が本書でやりたかったことは、私自身に納得のいく方法で、できるだけ論語を内在的にかつ忠実に読み、そのなかから私自身が生きるために必要な知識を見出す、ということである。
その読み方が正しいかどうかは、論語の解釈の争いではなく、実際に使ってみて人が生きる上で役に立つかどうかで判断されねばならない。

● 私がこれまでに書いた幾つかの書物は、その方向の研究の成果である。たとえば、
 『生きる技法』青灯社、2011年
 は、私が論語の助けを借りて構成した思想を、全く違う角度から再構成したものである。
この書物ではさまざまな思想を足がかりにしてはいるが、論語がとくに重要である。

● 橋本教授の指摘するように、論語はまさしく読む者の心を映す鏡なのであって、本書に映しだされているのは、たとえ私がどんなに客観的に考えたつもりでいても、私自身の心なのであろう。

(『生きるための論語』 安冨歩 7~11ページ 序より・257~263ページ 自跋より)




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バシャールの本とおなじように論語の本もじっくりゆっくり読んでいます!

安岡定子さんの本では、『絵でみる論語』の他に『こども論語塾』と『こども論語塾 その2』も読みました。

絵でみる 論語 (絵でみるシリーズ)

こども論語塾―親子で楽しむ

こども論語塾〈その2〉―親子で楽しむ


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