● 「今、自分にできること」から始めればいい
● 人がなんと思おうと、どう見ようと、それは自分の幸福には無関係で、ただただ自分で自分の心に快感を覚える状態が幸福なのだ。
● ところが、多くの場合、自分の心の持ちよう一つで同じことが幸福にもなり、不幸にもなるのであるから、われわれはまずもってあらゆる場合を幸福に感じるよう、精神上の修養が肝要である。
● 外部に起こる事情を変更することや、人の性癖を直すことは容易でないが、自分の気持ちを取り直すことはすぐにできることだから、もしも物事が自分の望みどおり、思うとおりにならない時は、まず自分の欲望を抑制して、これを取り直すことにしさえすればよい。
● 自分に容易にできる望みに努力する方がどれだけ幸福であるか
● 元来貧乏ということは自分の欲しがるものが持てないということであるから、たとえ貧乏していても満足することを知り、自分の力量を知って無理な望みを起こさず、何も欲しがらないでいる人はすでに貧乏ではなく、富裕な人と同じである。これに反し、欲の深い人は常に望みが多く、しかもその望むものはなかなか得られず、灰皿と金持ちはたまるほど汚くなるから、かえって心の中は汚い貧乏人であるということができる。
● 精神の力で境遇を支配し、外界の不如意を精神世界の如意に転換しなければならない。
● 精神的満足は物質の不足を補って余りあるのである。
● 境遇のみでその心を支配されるような人は、たとえその境遇が改善されることがあっても、不平不満は次から次へと頭をもたげてきて、終生満足して幸福感謝に浸ることのできない人である。要するに、幸福を自分の心の中で自由に成し得るならば、それは実に幸福に、難攻不落の要塞を築くもので、いわば幸福の主権者となったのである。
● われわれは自分自身が幸福になれると信じれば、いつか幸福になり、現に幸福だと信じればただちに幸福となれるのである。これに反し、いかに幸福な人でも、身のほどを知らず、不足のみ言っている人は、不幸にならざるを得ない。
● 幸福は自分の心の中にあるもので、外には関係のないようにもなるが、われわれの実際生活には、心の生活の半面に物質の生活があるから、その物質方面には単に気分だけでは足りない。悟るだけでは駄目で、ある程度を超えれば是非とも実行し実現しなければならない。
● いかに聖人君子でも、長く食わずにはいられないから、われわれは努力実行によって物質的に満足を得ることと、心の修養によって精神的に満足することの二つの満足によってはじめてその幸福が実現されるのですある。
● したがって、人は自分の実行能力と自分の心持ちとにふさわしい生活を営む時、 もっとも完全な幸福に浸り得るわけである。

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