● <努力>ってなんですか。女の又の力と書いて努力ってか。広辞苑で確認してみると<目標実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること>とある。心身を労して、の<労する>がよくわからないのでさらに引いてみると<①ほねおる。はたらく。②苦労する。③ほねおらせる。はたらかせる>とあった。
● さて。
世間一般では努力が尊いこととされています。
● つまり、努力には、目標実現という言葉の背後に、ある実利的側面がある。テレビゲームに寝食を忘れて熱中することを努力したとはいわない。ゲームにはクリアという目標があるにはあるけれど、目標実現したからといって、得られるものは自己満足だけであります。
● やれやれ、みんな、誰も彼もが努力を口にします。
でも、歌を歌うことは努力ですか。
野球をすることは努力ですか。
マンガを描くことは努力ですか。
踊りを踊ることは努力ですか。
ギターを弾くことは努力ですか。
小説を書くことは、努力、ですか。
これらの表現行為は、愉しいからするのではないですか。
● 文芸、音楽、絵画、舞踏、なんでもいいですが表現、これらは他人から強制されてやるものではありません。自分が選択し、自分の意思と意志で行うものなのです。
嫌ならいつでもやめていいのです。努力ですか。アマチュアにすぎない貴方が努力などと口ばしるのはじつに傲慢です。努力とは小説を書くということを職業にして金銭を得るようになってはじめて発生するものなのです。締め切りに間にあわせるために睡眠を削って血尿など垂らしながら原稿を書くのが、努力です。
だが、それでも、私は月に二十近くある締め切りに追われながらも、自分が努力しているとは感じていません。
なぜなら、愉しいからです。
とにかく書くことが面白い。書きたいことがいくらでもあって、しかし軀のほうがもたない、そんな状態なのです。
● 程度の差はあるでしょうが、小説にかぎらず表現、あるいはスポーツや芸能でもいい、そういった世界に身を置いて金銭を得ている者は、努力などしていないのです。畳に穴があくほど素振りをしても、痔の出血で座布団を汚してまでもマンガを描き続けても、バイオリンの弦を押さえることで指先が裂けても、当人はそれを苦しいこととは感じていないのです。
これらの異様なまでの集中は、努力とはまったくべつの次元からもたらされます。
つまり、小説を書いているうちにこの集中が訪れない者は、小説を書く才能がないということになります。単調な素振りが苦にならない者でなければ、プロの野球選手にはなれないのです。この集中以外のあれこれは、瑣末なことにすぎない。
頑張れば、苦労すれば、忍耐をもって接すればできる、つまり努力すれば可能であることなど、じつはたいして難しいことではありません。あえて言っていましますが、努力というメソッドは、無能な人間にもある程度の結果をもたらすために考案されたつっかえ棒のようなものなのです。だから大学入試には努力が必要なのです。
● 才能とはなにか。その成すべきことに対して寝食を忘れて遊ぶことができる、ということに尽きるのです。
素振りでさえも愉しいならば、素振りをすることが苦しくて必死になり、そこに努力なる概念を当てはめて自己満足してしまう者よりも数段上の境地、高みにのぼることができるのは当然です。
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今日は、ひさしぶりに馬上読書ならぬ電車での読書を嗜みました。
☆ それを愉しむことのできる本質的な才能
☆ それに集中しきれる本質的な才能
このふたつのことをかみしめながらコトコト揺られていました。
花村萬月さんのエッセイもすごく好きです!!
この『空は青いか 萬月夜話其の一』は、2005年5月に刊行された単行本の文庫本です。
『犬でわるいか 萬月夜話其のニ』、『草臥し日記 萬月夜話其の三』と続編もあります!
犬でわるいか<萬月夜話其の二> (講談社文庫)
犬でわるいか<萬月夜話其の二> (講談社文庫)
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