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2015年3月8日日曜日

日曜日の「抜き書きしないでルンルン♪」 本の中の本また買ってしまいました!



本の中で出てくる本を読みたくなってしまうというこの衝動・・・。
とくに大好きな花村萬月さんが語っているとなるとやっぱりまた買ってしまいました!!
『裂』に著者の花村萬月さんご本人も登場するのです。
この小説とても面白いです!!!

● 「そういえば<GA・SHIN!我・神>という本がでましたね。まだ読んでいませんけれど、なんだか挿絵やデザインが本文を侵蝕していて、レイアウトの極致って感じでしたが。担当者は、さぞや苦労なさったことだろうと」

● とすると <GA・SHIN!我・神>はテキストとイコンの合体を目指したものなのだろうか。

● 「つまり自分自身でつくりあげたオリジナルな律を用いて執筆すれば、それがどんなに途方もないことでもだいじょうぶ」

● 「律をつくりあげられないと、どうなるのです」
 「律のない虚構は、『裂』となる。裂けるーーーの裂だよ」

● 「もちろん第三者に伝える気がないなら、つまり小説家という職業に就く気がないならば、裂でかまわない。完全に自身に奉仕するための虚構ならば、ね」

(『裂』 花村萬月 127~132ページより)



2015年2月28日土曜日

昨夜の枕酒読書 『萬月夜話其の一』より



● 自己制禦の難しい不能感に近い快感を鑑賞者に与えることができるのが優れた映像表現の特徴です。

● 映画にかぎらずプロの仕事とは、こういうものでしょう。
密かに支配、洗脳するのが創作者の奥底にある、それこそ淫靡なよろこびかもしれません。

● 知る、ということは、いままで面白く鑑賞していたものが、実は屑だったということまであからさまにしてしまう場合があるのです。

● でも、知ることによって愉しみの質を深めることができる。
知るということは、判断のよすがを手に入れたということなのです。
それは陳腐なものを排除することにもつながります。

● いい、悪いを自分で判断できるようになると、また新しい世界が拓けます。
ほとんどの人が退屈だ、と投げだしてしまうようなものにじつは本物の宝石がまぎれていたりするのですよ。

● 私の職業である小説の分野でも、とんでもない才能の持ち主がいるのです。
私には幾人か、勝手に私淑している小説家がいます。
胸の裡で先生と呼ぶ小説家です。

● たとえばいまは亡き宇野浩二先生。
私としてはこの小説家に対する評価がいまひとつに感じられるのが悲しい。
もっともっと評価されてしかるべきです。
丹念に分析すると途轍もない境地にあることが理解されます。
晦渋であるようでありながら、じつは遊んでいたり仕掛けがあったりで、意外なほどの技巧の冴えに出くわしたりすることもあります。
しかも技巧を技巧と感じさせない老獪ささえあり、だからこそ技巧なのでしょうが、ときどき小説を書くことに迷いを覚えたときなど、宇野浩二先生の作品を読み返して、密かに唸っているのです。

● 鑑賞者である読者諸兄は単純に小説を愉しむだけでなく、もう一歩踏みこんで作品の本質的な才能を味わうために、逆に自分を高める算段をしてみてはいかがでしょう。
それにはどうしたらいいか。
漠然と物事を見ない。

● ちゃんと物事を見るためのメソッドとでもいうべきものがあるのだ。
骨董。
この途轍もなく怪しい世界に、物事を見る骨ともいうべきものがあるのです。

● べつに骨董品を買わなくてもいいのです。
見るだけでいい。
ほんとうは評価の定まった美術作品でもいいのだけれど、評価が定まっていることによって自分を鍛えることができないので、やはり骨董という得体の知れないところからはじめましょう。

● 自分の内部に絶対的な美の基準をもっているのです。
みんながいいと言うからいいのではなくて、あるいは評論家がいいと言うからいいのではない。
この基準がある人は、強い。
群れから抜けだすことができるでしょう。

● 旅行したときなど、その土地の骨董屋に入って、ちょっと焼き物を見てみましょう。値段はどうでもいいのです。
いいか、悪いか。
とにかく虚心坦懐に 自分で判断する。
こうしたことを繰り返すと、能力のある人はどんどん目がよくなっていく。
ひとつの分野でいいのです。
ある程度見えるようになってくると、他の物も見えるようになる。
理想をいえば私のように目利きの師匠がいれば、どんどん物が見えるようになっていくのですが。

(『萬月夜話其の一』 花村萬月 147~158ページより)

2015年2月16日月曜日

ついに!『百万遍 流転旋転』の上巻に!!




花村萬月さんの小説『百万遍』は、青の時代から古都恋情、流転旋転と各上下巻の全6冊です。
昨夜、『百万遍 古都恋情』の下巻を読み終わり、今日から『百万遍 流転旋転』の上巻に突入です!

花村萬月さんの『裂』も読みはじめているのですが、ちょうどいま読んでいるところの舞台が『百万遍 古都恋情』と同じ京都だったので、ちょっと嬉しくなってしまいました。


百万遍 青の時代〈上〉 (新潮文庫)

百万遍 青の時代〈下〉 (新潮文庫)

百万遍 古都恋情〈上〉 (新潮文庫)

百万遍 古都恋情〈下〉 (新潮文庫)

百万遍―流転旋転〈上巻〉

百万遍―流転旋転〈下巻〉


わたしの空間には読みかけの本が山ほどあるのですが、わたしなりのペースでそれぞれの本み進めています。


成毛眞さんの本に


● とくに多読の人は、読む量が多いので、常に頭の中が上書きされている状態である。下手をすれば一週間前に読んだ本の内容を忘れている場合もある。だとすると、その程度の本だったのだから、忘れてもいいのだ。

それどころか、本の内容そのものは二の次だ。
その情報に触れたとき、自分がどう思うか、どう感じるかという感性や思考が大切なのだ。

● 自分の思考の幅を広げて、変質させるための手段が読書なのである。

 (『勉強上手』 成毛眞 154ページより)




わたしにとって必要な本が言葉が、わたしにとってちょうどよいときにあらわれるといつも思っています。

2015年2月10日火曜日

愉しむことのできる才能!集中しきれる才能! わたしにもあるはずだ!!!ある!!!




● <努力>ってなんですか。女の又の力と書いて努力ってか。広辞苑で確認してみると<目標実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること>とある。心身を労して、の<労する>がよくわからないのでさらに引いてみると<①ほねおる。はたらく。②苦労する。③ほねおらせる。はたらかせる>とあった。

● さて。
世間一般では努力が尊いこととされています。

● つまり、努力には、目標実現という言葉の背後に、ある実利的側面がある。テレビゲームに寝食を忘れて熱中することを努力したとはいわない。ゲームにはクリアという目標があるにはあるけれど、目標実現したからといって、得られるものは自己満足だけであります。

● やれやれ、みんな、誰も彼もが努力を口にします。
でも、歌を歌うことは努力ですか。
野球をすることは努力ですか。
マンガを描くことは努力ですか。
踊りを踊ることは努力ですか。
ギターを弾くことは努力ですか。
小説を書くことは、努力、ですか。
これらの表現行為は、愉しいからするのではないですか。

● 文芸、音楽、絵画、舞踏、なんでもいいですが表現、これらは他人から強制されてやるものではありません。自分が選択し、自分の意思と意志で行うものなのです。
嫌ならいつでもやめていいのです。努力ですか。アマチュアにすぎない貴方が努力などと口ばしるのはじつに傲慢です。努力とは小説を書くということを職業にして金銭を得るようになってはじめて発生するものなのです。締め切りに間にあわせるために睡眠を削って血尿など垂らしながら原稿を書くのが、努力です。
だが、それでも、私は月に二十近くある締め切りに追われながらも、自分が努力しているとは感じていません。
なぜなら、愉しいからです。
とにかく書くことが面白い。書きたいことがいくらでもあって、しかし軀のほうがもたない、そんな状態なのです。

● 程度の差はあるでしょうが、小説にかぎらず表現、あるいはスポーツや芸能でもいい、そういった世界に身を置いて金銭を得ている者は、努力などしていないのです。畳に穴があくほど素振りをしても、痔の出血で座布団を汚してまでもマンガを描き続けても、バイオリンの弦を押さえることで指先が裂けても、当人はそれを苦しいこととは感じていないのです。
これらの異様なまでの集中は、努力とはまったくべつの次元からもたらされます。
つまり、小説を書いているうちにこの集中が訪れない者は、小説を書く才能がないということになります。単調な素振りが苦にならない者でなければ、プロの野球選手にはなれないのです。この集中以外のあれこれは、瑣末なことにすぎない。
頑張れば、苦労すれば、忍耐をもって接すればできる、つまり努力すれば可能であることなど、じつはたいして難しいことではありません。あえて言っていましますが、努力というメソッドは、無能な人間にもある程度の結果をもたらすために考案されたつっかえ棒のようなものなのです。だから大学入試には努力が必要なのです。

● 才能とはなにか。その成すべきことに対して寝食を忘れて遊ぶことができる、ということに尽きるのです。
素振りでさえも愉しいならば、素振りをすることが苦しくて必死になり、そこに努力なる概念を当てはめて自己満足してしまう者よりも数段上の境地、高みにのぼることができるのは当然です。


(『空は青いか 萬月夜話其の一』 花村萬月 124~135ページから)

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今日は、ひさしぶりに馬上読書ならぬ電車での読書を嗜みました。

☆ それを愉しむことのできる本質的な才能
☆ それに集中しきれる本質的な才能

このふたつのことをかみしめながらコトコト揺られていました。

花村萬月さんのエッセイもすごく好きです!!

この『空は青いか 萬月夜話其の一』は、2005年5月に刊行された単行本の文庫本です。

『犬でわるいか 萬月夜話其のニ』、『草臥し日記 萬月夜話其の三』と続編もあります!

犬でわるいか<萬月夜話其の二> (講談社文庫)

犬でわるいか<萬月夜話其の二> (講談社文庫)




2015年2月7日土曜日

いまわたしが一番読みたい花村萬月さんの作品!!




● 瀬戸内 : 私が花村さんのことを好きだと言うと、みんな、「どんなところが好きなんですか?」と聞いてくるの。で、私は「小説が好き」と答えるんです。「群像」連載の「裂」も面白いですね。

花村 : ありがとうございます。

瀬戸内 : さすがに八十七歳を過ぎるとくたびれて、もう小説書くのはやめるつもりだったんだけど、「裂」を読んで、やっぱり書かなきゃ、と思った。それで「新潮」の連載(「爛」)を引き受けたんですよ。こんなに面白い小説を読んだら、自分も書かずにはいられなくなるの。

花村 : ありがたいです。最高のほめ言葉です。おれ、舞い上がっちゃいますよ。

(『寂聴まんだら対談』 瀬戸内寂聴 97ページより)


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わたしが初めて花村萬月さんの本と出合ったのは、2003年の5月のことです。
当時、バイクのことをいろいろ知りたかったのです。
わたしは、なにかの対象をじっくり学んでいきたいと思ったときは、すぐにそのことが書かれている本を探し、その本から吸収しようと動きます。
そのときに探し選んだ1冊の本が、花村萬月さんの書かれた『自由に至る旅』でした。
花村萬月さんの本と出合えたことが、本当に嬉しいです!!
まだまだ読了した作品は少ないのですが、花村萬月さんの小説もエッセイも大好きです。

瀬戸内寂聴さんの『寂聴まんだら対談』を読んで、ぜひ読もうと思った花村萬月さんの本です!!

★ 『裂』 花村萬月

自由に至る旅―オートバイの魅力・野宿の愉しみ (集英社新書)

『裂』花村萬月 (講談社)





2015年2月6日金曜日

字面を追うという読書にチャレンジ!




● 読者諸兄にぜひお薦めしたいのは美術出版社刊、ルネ・ユイグ著、中山公男・高階秀爾訳<見えるものとの対話>です。全三巻の大部ですが、絵画のみならず文章を書くうえでも重要な示唆を与えてくれるでしょう。これは十七歳になったばかりのときに読んで、夢中になりました。私の漢字に対する確信は、このフランス人によってもたらされたのですから、なんとも不思議に気持ちにさせられます。

● さて、絵を言葉で語るということ。
それに深く慣れ親しんだ一時期が私にはあるのです。つまり私は見えるものを言語であらわすことに慣れきっていた。
いいですか。当時の私は、おそらく同年代の若者より巧みに目に見えるものを言語化することができたのです。そして、その延長線上に小説家という職業がある。
小説家とは、絵画という特化されたビジュアルのみならず、人の生と死という絵模様を(最小限の)言語であらわす職業であり、職人なのです。最小限という括弧がついているのは、多くの言葉を費やすことによって焦点がぼけることを自戒したものです。

● 読んで即座に理解できる本を読むのは、愉しみとしては申し分ありませんが、勉強にはなりません。勉強は、いま、わかる必要はないのです。理解は三年後、十年後で充分なのです。ですから自分にとって難しいと感じられる書籍を積極的に読む必要があります。すなわち、とりあえず字面を追っておくべきなのです。
ちゃんと学校に通ってしまった人の悪癖とでもいうべきものに、随時行われる試験に受からなければならないといった思い込みがあります。そこから派生して、読んだらすぐわからなくてはならない(つまり答えを書けなければならない)といった強迫的な思いがあるように見受けられるのです。

● もうひとつ指摘しておく大切なことがあります。読んでもよくわかないものを読むということは、凄まじいエネルギーを必要とします。面白くなくても強引に集中するのですから、その集中力たるや、尋常ではありません。私のスタート時には父の強制があり、十七歳のころには見栄がありました。さらに柔軟な脳と体力があったのです。
つまり歳をとってから、こういったことをするのはなかなかに骨の折れることであるということです。やはり、行うべき時期というものがあるのです。そこから外れると並大抵の努力や頑張りでは追いつきません。

(『父の文章教室』 花村萬月 178・180・196~198ページより)

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大好きな著者の花村萬月さんのお薦め本!!!

★ 『見えるものとの対話』 ルネ・ユイグ

見えるものとの対話〈第1〉 (1962年)

見えるものとの対話〈第2〉 (1962年)

見えるものとの対話〈第3〉 (1963年)


さっそく、手に入れ少しずつ読み進めていましたが・・・、やはり今日からは、積極的に字面を追い進めることから始めようと決意しました!!





2015年2月4日水曜日

わたしの大好きな著者たち♪



★ 花村萬月

★ 中谷彰宏

★ 成毛眞

★ 安冨歩

★ BASHAR バシャール(著者ではないかもしれないけれど・・・)


毎日大好きな著者たちの本に囲まれている、そんなわたしの空間は、とっても素敵なのです!

読書に欠かせない極細付箋をいつも携え、読む読む貼る読む貼る読む貼る読む読む~~~!


わたしの成長の大きな力となっている『言葉』に出合うこと、そして、その『言葉』を抜き書きすることが大好きです!

ノートに記してきた抜き書きをブログにも綴り、心さらに踊るです!!